介護と不登校。限られた住環境の中で選ばざるを得なかった「部屋の明け渡し」

ダブルケア

わが家で義母の介護が始まったとき、最も頭を悩ませたのは「空間の確保」でした。
限られた間取りの中で、誰がどこで過ごすのか。

結果として、当時不登校だった娘に自分の部屋を譲ってもらうことになりました。
今振り返ると、それが娘にとってどれほど大きな変化だったのか、本当に申し訳ない気持ちになります。

1. 物理的な限界と、現実的な選択

義母を迎えるにあたり、どうしても避けられない課題がありました。 それは、高齢の義母が安全に過ごせるよう、シングルベッドのある義母の居住スペースを確保することです。

わが家の間取りを考えると、個室を新たに作る余裕はありませんでした。 夫とも検討を重ねましたが、最終的には「娘の部屋を義母の居室にする」という選択肢しか残っていませんでした。

ふわり
ふわり

「あの時は、それが唯一の解決策だと思っていました」

2. 「ふすま一枚」という環境の変化

自分の個室を譲った娘は、リビング横の和室へ移動することになりました。 しかし、その場所は本来、家族がリビングへ移動する際の通り道でもあります。

  • 仕切りはふすま一枚で、鍵はかからない
  • 家族の気配や物音が常に伝わってくる
  • 自分だけのプライベートな空間を保ちにくい

学校という社会から離れ、家を「休息の場」としていた娘にとって、この環境の変化は決して小さなものではなかったはずです。

ききちゃん
ききちゃん

「自分の居場所が、家の中から消えてしまったと思いました」

当時の娘は、そんな感覚を持っていたのかもしれません。

3. 「精一杯」の裏側にあったもの

当時の私は、目の前の介護を回すことに必死でした。 病院への付き添い、入院手配、日々の介助、仕事……。

娘に申し訳ないという気持ちはありつつも、「今はこうするしかないんだから」と、どこかで自分に言い聞かせていた部分もあったと思います。

不登校からの回復には心のエネルギーが必要ですが、そのためには「誰にも侵されない自分だけの安全基地」が必要です。

介護という抗えない現実の中で、私は娘からそのセーフティエリアを奪ってしまっていたのだと、後になって気づきました。

おわりに

娘には大きな負担を強いてしまった。 その事実は、今も私と夫の心に静かに残っています。

ただ、あの時の状況で、他にどんな正解があったのかは今も分かりません。
「可哀想なことをした」という後悔を抱えながらも、あの厳しい時期を家族でどうにか通り抜けてきた。 それが、わが家のありのままの記録です。

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