そして完全不登校へ。冬休み明け、娘が布団から出てこなくなった日

不登校

こんにちは、ふわりです。

これまでは「週に1〜2回はなんとか行けていた」という状態から、いよいよ一歩も外に出られなくなる……。
不登校を経験する親御さんにとって、もっとも心が揺れ動く時期かもしれません。

今日は、わが家が「完全不登校」へと入っていった、あの1月のことを振り返ってみたいと思います。

冬休みが終わると同時に、娘の足が止まった

12月までは、なんとか週に1〜2回は登校できていた娘。
「このまま少しずつ慣れていけば……」 そんな私の淡い期待は、年が明けた1月に、音を立てて崩れていきました。

冬休みが終わり新学期が始まっても、娘は朝起きることができません。
ようやく起きたとしても、 「お腹が痛い……」 とつぶやき、布団から一歩も出ず、頭からすっぽりと布団をかぶってしまう。

その姿を見るたび、私の心は焦りと不安でいっぱいになりました。

「明日こそは」という私の必死さが、娘を追い詰めていた

当時、クラスメイトが翌日の連絡事項を書いた「お休み連絡」プリントを毎夕、郵便受けに届けてくれていました。

私は、それを手に取るたびにこう思っていました。 「明日こそは、これで準備して学校に行かせなきゃ」

夕食後、そのお休み連絡を娘に渡し、明日の準備を一緒にさせる。
それは、私の「学校にちょっとでも繋ぎ止めておきたい」という必死の思いからくる、毎晩のルーティンでした。

「明日は体育があるからね。体操服準備しておこうね」

そう声をかける私の隣で、娘は黙って準備をしていました。
当時の私は、娘の表情をじっくり見る余裕なんてありませんでしたが、今振り返れば、あの時の彼女は完全に「無表情」でした。

「どうせ、お母さんに何を言っても無駄なんだ」

そんな諦めと、行き場のない苦しさが、あの無表情に隠されていたのだと、今ならわかります。

「学校に来てね」のメッセージが苦しかった

お休み連絡の一言コメントには、いつもクラスメイトからの温かい一言メッセージが添えられていました。

「学校に来てね」「みんな待ってるよ」

その優しい言葉を見るたび、私は申し訳なさで胸がいっぱいになりました。
時間割と学んだ内容のまとめ。
わざわざ届けてくれる手間をかけさせていること。
そして、その期待に応えられない娘を持っていること。

「先生や友達に申し訳ないから、行かせなきゃ」
「貴重な休み時間を娘のために使わせている」

いつの間にか、娘の気持ちよりも「周りへの申し訳なさ」や「世間体」が、私を突き動かす原動力になっていたのです。

「普通」を手放す、準備の始まり

結局、娘はそのまま完全不登校になりました。
あの時、布団の中で震えていた娘が求めていたのは、翌日のプリントではなく、「休んでもいいよ」という私の一言だったのかもしれません。

当時の私に言ってあげたい。

「そんなに必死にならなくて大丈夫。学校に行かないからといって、この子の人生が終わるわけじゃないんだよ」と。

今、同じように毎晩、時間割、連絡プリントを前にして、胸を痛めているお母さん。

担任からの「お子さんどうですか?」の電話に答えの返せないお母さん。

あなたは十分、頑張っています。 少しだけそのプリントを置いて、隣で一緒に深呼吸してみませんか?

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