娘の不登校とダブルケア

不登校

出口の見えないトンネルを歩き続けたあの頃私について

はじめまして。このブログを訪ねてくださり、ありがとうございます。

現在は少しずつ前を向いて歩んでいますが、数年前までの私は、まさに「暗闇の底」にいました。

今日は、私の家族が不登校という壁にぶつかり、そして私自身が余裕を失い、家族がバラバラになりかけた「あの頃」のお話をさせてください。

1. 突然の「五月雨登校」から始まった動揺

異変は、娘が中学1年生の11月でした。

朝、起きられない。玄関まで行けても、靴が履けない。

ぽつりぽつりと休みがちな「五月雨さみだれ登校」が始まり、年が明けた1月。娘はついに、一歩も外へ出られなくなりました。

「どうして?」「私の育て方が悪かったの?」 理由を探しては自分を責め、無理に学校へ行かせようとして娘を傷つける。

何をどうすれば正解なのか分からず、ただただ右往左往する。そんな毎日が始まりました。

2. 重なる試練。仕事、介護、そして不登校

実はその年の10月、別の異変がわが家を襲っていました。

遠方に住んでいた義父のガン発覚。そして、介護を一手に引き受けていた義母が、背骨を圧迫骨折。

平穏だった日常は一変し、私たちは「ダブルケア」という過酷な現実に放り出されました。

夫は義父の入院治療の対応で走り回り、私は仕事の傍ら、義母の手術や入院のサポートに奔走。

実家との往復、仕事の責任、そして目の前の介護。

心の余裕を失った私は娘の異変に気付いていませんでした。

3. 「後回し」にしていた代償

必死で毎日を回しているつもりでした。

でも、そのしわ寄せは、一番静かに声を上げていた娘に向かっていました。

「今はおばあちゃんのことが大変だから、ちょっと待ってね」

「お母さんも仕事で疲れているから、あとで聞くね」

そうやって娘を後回しにし、向き合う余裕を失っていた間に、娘は少しずつ、自分の殻の中に深く閉じこもるようになっていきました。

部屋から出てこなくなった娘の背中を見て、自分の至らなさに愕然とする日々。

あの頃のわが家は、まさに「地獄」そのものでした。

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