不登校とダブルケアの始まり。あの頃、私の心に余裕なんて1ミリもなかった。

不登校

突然始まった「トイレに籠る朝」

11月の前半までは、校外学習の陶芸体験に楽しそうに参加していた娘。
毎日当たり前のように準備をして、学校へ通っていました。
異変なんて、これっぽっちも感じていなかったんです。

ところが、11月中旬。 学校へ行く直前になると、娘がトイレに籠る時間が長くなりました。

「大丈夫?」と声をかけても、返ってくるのは小さな声で「大丈夫……」の一言だけ。
なかなか出てこない娘に、私は正直イライラしていました。

「私も仕事に行かなきゃいけないのに!」「早くして!」 そんな焦りと困惑、ジリジリした思いが私の心を支配していました。

そのうち、「お腹が痛いから、休みたい」と言うようになった娘。 当時はコロナ禍の真っ最中。 「もし熱があったら大変」と、まずは体温を確認して休ませる日々が始まりました。

週に1日だった休みが、2日、3日と増えていく……。
「このまま行けなくなったらどうしよう」
腹痛が朝の時間を過ぎればケロッと治るのも、余計に私の不安を煽りました。

重なり合う苦難。怒涛の「ダブルケア」突入

不安に押しつぶされそうな私に、追い打ちをかけるような出来事が重なりました。
遠方に住む義理の両親の介護問題です。

  • 義父: ガンを発症し、手術のため入院。
  • 義母: 介護をしていた最中に、背骨の圧迫骨折。

自分自身のこともままならなくなった義母を、自宅へ迎えることになりました。
夫と交代で実家に泊まり込み、最終的には新幹線とタクシーを乗り継いで、義母を我が家まで運びました。

正直に言います。 ……めちゃくちゃ大変でした!!(泣)

車いす対応の座席予約、駅でのサポート、タクシーの運転手さん。 JRの皆さんの温かい協力がなければ、乗り越えられませんでした。あの節は本当にありがとうございました。

「娘のことは、後回しでした」

夫は義父の転院や付き添い。 私は義母の入院・手術の付き添い。 そこに自分自身のパート勤務。

日々のタスクをこなすことで精一杯でした。

正直なところ、この頃の記憶はあまりはっきりしていません。
ただ覚えているのは、「娘の不登校に向き合う余裕なんて、1ミリも残っていなかった」ということ。

「学校へ行けない娘」よりも「目の前の命(介護)」を優先せざるを得ない状況。
それが当時の我が家のリアルでした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました