こんにちは、ふわりです。
お子さんが学校に行けなくなったばかりの頃、皆さんはどんな風に過ごしていましたか?
当時の私は、もう必死でした。
「なんとかして、元の生活に戻さなきゃ」という焦りと不安で、今振り返ると「それは逆効果だったよね……」と思うことをたくさんしてしまいました。
今日は、私が不登校初期にやってしまった失敗談と、その苦い経験からたどり着いた「本当に大切だった3つのこと」をお話しします。
1. 「明日こそは!」という期待を込めた翌日準備
娘が完全不登校になったばかりの頃、クラスのお友達が毎日届けてくれる「お休み連絡」が、私にとっての「登校への切符」のように見えていました。
「明日は体育があるから、体操服を準備しようね」
「給食、明日は大好きなエビフライだって!」
私の心の中は、「明日こそは行ってくれるかも」という淡い希望と、「なんとしてでも行かせたい」という執念でいっぱい。
でも、行けるかどうかもわからない学校の準備をさせられる娘にしてみれば、それは期待という名の「重圧」でしかありませんでした。
準備をしたからといって、行けるようになるわけではなかったのです。
2. 「学校に行かないなら働きなさい」という言葉の刃
私は昭和世代。「働かざる者食うべからず」という価値観で育ちました。
だから、家でゴロゴロしている娘を見ると、どうしても「ズルい!」という感情が湧いてしまったんです。
「学校が嫌だからサボっているだけなんじゃないか?」
そんな風に娘を見ていた私は、ついにこんな言葉をぶつけてしまいました。
「このまま学校に行かないなら、働きなさい!」
働く厳しさを知れば、学校に行った方がマシだと思ってくれるはず……。
そう信じて疑いませんでした。でも、娘はサボっていたのではなく、
心のエネルギーが枯渇して動きたくても動けなかったんですよね。
3. 「中卒だと将来困るよ」という未来への脅し
親心として、娘に苦労させたくない一心で、「学歴」や「将来」の不安を突きつけていました。
- 「最終学歴が中卒になっちゃうよ」
- 「社会に出た時に困るのはあなたなんだよ」
でも、当時の娘には、その声は全く届いていません。
なぜなら、当時の娘は「心が生きるか死ぬか」のギリギリの状態だったから。
「自分なんて生きていていいのか?」「しんどい、死んだほうがマシだ」
そんな風に「今」を生きるだけで精一杯な子にとって、数年後の話なんて、想像の範囲外。
それどころか、「今の自分」を全否定されたような絶望感を与えてしまっていたのだと思います。
遠回りして気づいた、本当に必要だった「3つのこと」
不登校解決のためにと必死にやっていたことは、実は解決を遠ざけることばかりでした。
暗闇の中にいた私が、もがき苦しんで、ようやくたどり着いた答えは、驚くほどシンプルな3つでした。
- そっとしておく 「なんとかしよう」とするのをやめて、本人のペースに任せること。
- 美味しいものを食べさせる 理屈ではなく、温かい食事で「呼吸しているだけですごい!生きてるだけで丸儲け」と伝えること。
- 意識を子供から離す お母さん自身が自分の人生を楽しみ、子供を「監視」するのをやめること。
「普通」に執着していた頃は、この3つが何より難しく感じました。
でも、これを少しずつ意識し始めてから、ようやく私たちの時間は動き出した気がします。
もし、今同じように焦っているお母さんがいたら、まずは深呼吸をして、今日のご飯を美味しく作ることだけ考えてみませんか? それだけで、もう十分頑張っていますよ。


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