何もなかった中2。娘も私も、必死に耐えていた一年

リビングでゲームに向かう娘と、介護や家事に追われ疲れた様子の母親が、それぞれすれ違っているイラスト 不登校・教育

こんにちは、ふわりです😊
ご覧いただきありがとうございます。

今日は、娘に向き合えなかった中2の一年を振り返ります。


介護の話も出てくるので、さらっとお話ししますね。

ひたすら、ゲームとYouTubeの日々

一日だけ登校したあの日を最後に、娘はまた家で過ごす日々に戻りました。

昼頃に起きてきて、用意したご飯を食べ、
あとはひたすらゲーム、YouTube。

私も、強く言うことはなく見守っていました。

……というと聞こえはいいのですが、

実はこの時期、我が家では別の問題が起きていて、

娘に構う余裕が、ほとんどなかったのです。

義父の病気と、義母との同居

前年の秋、遠方に住む義父の病気が発覚し、入院・手術。

その介護の最中、今度は義母が圧迫骨折。

急遽、義母が我が家で同居することになりました。

私は義母の入院・手術・介護に走り回り、
夫は義父のことで何度も実家の県へ。

正直、娘に寄り添う余裕は1ミリもありませんでした。

たまに届く、学校からの「生存確認」

それでも、毎日「お休みメモ」は届きます。

娘は、とうに見るのをやめていました。

「体育」とか「美術の課題」とか、もう別世界の話。

私も正直、見たくありませんでした。

先生には「ほかの生徒さんのご負担になりますから、もう結構です」とお伝えしたのですが、
先生にも学級運営の方針があって、「ききさんもクラスの一員ですから」と。

強くも言えず、毎日届くメモを、ただファイルに入れて保存していました。

娘も、しんどかった一年

当時は、娘に何もしてあげられないことに、罪悪感がありました。

でも今振り返ると、しんどかったのは私だけじゃありません。

それまでは、私たちが仕事で家を空けている間、
娘は誰にも気をつかわず、ひとりでゆっくり過ごせていました。

家は、娘にとって数少ない「安心できる場所」だったんです。

そこに、病気のお祖母ちゃんが常にいるようになった。

私も介護で余裕がなく、ピリピリしていました。

唯一の逃げ場だった家の中まで、気の休まらない場所になって——
娘も、本当はしんどかったんだと思います。

「何もなかった中2」と書きましたが、
本当は、娘も私も、それぞれが必死に耐えていた一年でした。

でも、9月に

そんな停滞した日々に、ひとつの転機が訪れます。

きっかけは、お祖母ちゃんでした。

ずっと家から出られなかった娘が、
ある行動を起こすことになるのですが——

その話は、次回にお話ししますね。

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